イスラエル時代:シンガーNoaについて『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』
私はイスラエルに1991年1月~1998年10月まで住んだ。
私の住んだ時代は、湾岸戦争の勃発という大変な時期から、PLOとの和平合意、中東平和のイリュージョンを垣間見た劇的な時期であった。
2016年4月7日の東京新聞夕刊に「混迷のイスラエル 歴史の目撃者(上)」と題してイスラエルのシンガー「NOAノア」(アヒノアム・ニニ)の記事が載った。
私はイスラエルで彼女のことを知って以来のファンだったので、日本の新聞で彼女のことが紹介されたことがとても嬉しかった。
PLOとの和平合意でノーベル平和賞を受賞したラビン首相がテルアビヴで暗殺される数分前にその同じ平和集会のステージで平和の歌を歌っていたノア。
「希望の光から絶望の暗闇へ歴史が音を立て、ねじ曲がったと感じた」という。私もあの日のことはよく覚えている。
ラビン首相の意思「和平の実現」のためには政治的発言も辞さないというノア。
パレスチナ側からはユダヤ人というだけで嫌われ、同胞右派からは「反イスラエル、反政府主義者」とレッテルを貼られ標的にすらなって、それでも平和への希望を歌う。
でも彼女だけでなく当時から私の周りにはニニのような反体制イスラエリーがたくさんいた。
ニニのように切に平和を願っている人々はたくさんいる。
世界的には、イスラエルと聞くと、中東一番の右派、血も涙もない奴らばっかりが住んでるように聞こえるけど、私の周りのイスラエリーは自由人が多く、宗教に拘らない人達が多かったし、とても暖かい人達に恵まれた。私を家族のように扱ってくれる友人がたくさんいたし、今もいる。
イスラエルだけでなく一部の権力者によって世の中が人々の平和への願いや希望とは別の方向にどんどん引っ張られて行っていく。
それでも諦めないノアの姿勢に私は大いに共感を覚える。
1994年バチカンに招かれ、ノア自身が作詞したアヴェ・マリアをローマ法王の前で歌ったノア。
https://www.youtube.com/watch?v=9hyU5qXNIs8&nohtml5=False