割り切れない音楽・柱を見つける『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』
私が演奏活動を始めた頃の英国は、筋金入りに保守的で、シェーンベルク、アルバン・ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン楽派でさえ「現代音楽」と思われていて、ウィーン楽派のシューベルトと新ウィーン楽派のウェーベルンを合わせて演奏するというような今ではおなじみのブログラムが難しい時代だった。ロシアのスクリァビンでさえ、プログラムに入れようとすると眉をひそめられた。
そんなご時世、同時代に作曲された作品演奏をするには、かなりの勇気がいった。仲間の作曲家達に演奏を頼まれることも多く、私はまだ誰も演奏したことのない未知の音楽に出会うことに興味津々だった。まだ生まれない音楽に自分の息を吹き込む事で、それが初めて聴衆の耳に伝わることにとてもワクワクしたし、有意義な張り合い、ある種の使命感のようなものを感じた。
そんな訳で機会があれば、現代曲をプログラムに導入して演奏してきた。
ただ私が頭脳的にハードコア・複雑極める現代音楽に接するようになるのはもっと後になってからのこと。
ある日、ヴァイオリニストからヤニス・クセナキスの『ディクタス』を一緒に演奏しないか、と誘われた。
クセナキスと言えば、数学と建築を作曲手法に用いて、超複雑かつ過激な音楽を作る悪名高き(?)作曲家だ。
ピアニストの高橋悠治氏は、クセナキスのエオンタの演奏中に爪が剥がれて、それが宙に舞った、という怖い逸話があるくらいで、、、、
でも音楽に関しては至って冒険好きな私は「怖いもの見たさ」に引き受けてしまったのはいいが、その曲の譜読みをするにあたって、大きな壁にぶつかった。割り切れない比率のフレーズが4声になって並んで、楽譜は音符で真っ黒だ。
どこから手をつけて良いか全くわからない。
10本の指で、右手は27:13 左手は3:13みたいな割り切れない声部が並ぶ。
そしてどこに拍子があるのかもわからない、、、、譜面を見る私の目線は、全く舵を失った船のように、黒いビッシリ詰まった楽譜の上を、あっちへウロウロこっちへウロウロ、、、出るのはため息ばかり、、、
そんなとき、当時デュオを組んでいた、フランスのトロンボーン奏者のBSに悩みを打ち明けてみた。
BSは、パリに拠点を置く、アンサンブル・アンテルコンテンポランの発足メンバーとして、かの作曲家で指揮者のピエール・ブーレーズの元、ずっと現代音楽の最先端で生きてきた人だ。
ヤニス・クセナキスやルチアーノ・ベリオも彼のために曲を書いている。手塚治の鉄腕アトムに出てくる「お茶の水博士」のような髪型の彼は(博士と違って痩せていて長身だったけど)温厚な性格で音楽教育にも力を入れている人だった。彼に『ディクタス』の譜面を見せると、数学者でもある彼は、そんな割り切れない比率など、全く朝飯前のようで、それをどうやって一応「割り切れる?」リズムに砕くか、までの方程式を私の前で、スラスラと譜面に書き込んでくれたが、、、、
私の口は半ば、ポカ~~ンと開いたまま、、、
彼は「ね、見てごらんここに4つの(4拍)の柱があるの分かるよね?」それは、私にも見えたような気がしたので、うなづくと、
「そこなんだよ、その柱を見つけるんだ。それがキミのやるべきこと。それが出来たらあとはなんとかなるからさ」って。
な、なんとかなるって言われても、、、
私はとにかく騙されたつもりで、その柱を探した、探しに探した。大海で藁をもすがる気持ちで、、、そうすると何だか、見えてくるではないか、、、
これが私のハードコア現代音楽との深い関係の始まりだった。
それから何人かのハードコア現代作曲家の音楽を演奏してゆくことになるが、
譜読みの段階はとにかくいつでも地獄だ。たったの9分の曲でも、最低数ヶ月は暗いところに潜り、ピアノの横には計算機とメモ帳。
割り切れない比率の音の羅列と静かに闘う日々。
相当なもの好きか、マゾか、誰がこんな苦しいことを進んでやるのだろうか、、、
毎日晴れない気持ちを抱えつつ、いつか征服してやろうと思う冒険心とここで負けてなるものか、と訳のわからない闘争心に燃えて、、、、
でもそんな苦しい時はつも、BSの言葉「キミは柱を見つけるんだ」を頼りにず~~~っと頑張った。
「柱をみつけること」
何年も経った今でも、この言葉が音楽の域を超えて人生の至るところで、私の教訓になっている。
Photo by Sanorui&NK