ニューノーマルを目指して『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

ロックダウン6週目久しぶりの雨天の今日。今後2週間ほどの天気予報は曇りの日が多そうだ。気温も今日は一桁なので暖房を入れている。

ロックダウンと同時に雲ひとつない晴天がずっと続いていたロンドン。夏時間で陽もうんと長くなったそのタイミングで、自粛を迫られる市民に爽やかな青空が、外へおいでよ~気持ち良いよ~とこちらの自制心を試すかのように誘惑してくる。何もここまで意地悪しなくても良いだろうに、と思いたくなるくらいご機嫌なお天気の青空を恨めしい思いで見上げたのは私だけではないだろう。とはいえ今日のような雨天が続いたら、ロックダウン下のメンタル面により大きな影響を及ぼすことになると思うから、お願い!イギリスお得意の曇天だけは続けないで!と祈るしかない。

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ロックダウン下のライラックと青空

さてこのロックダウン6週目、個人的には生活に大幅な変化があった訳ではない。リハーサルやレッスンのためにスタジオへ通うことがなくなっただけで、レッスンは大方の生徒がオンラインで続けることを希望してくれたので続けているし、自分の楽器練習、足を強くするためのヨガ、などで1日はアッと言う前に過ぎて行く。でもレッスンでコンピューターの四角いスクリーンで生徒たちに対面するのが、最近悲しい、というか切ないと言うか、なんとも言えない気の沈みを感じるようになってきた。最近夢に現れた生徒の一人は四角いスクリーンで登場したくらいだ。こんな四角い世界がいつまで続くのだろう?

些細なことだが自分の中で小さな変化を感じている。

オンラインレッスンならお昼にガーリック入りのドレッシングをサラダにかけて食べても、口臭を気にする必要もない。着るものも上はまぁきちんとしても下はダボダボのお家パンツでも全然問題ない。(例え自粛だろうが、身だしなみを整えきちんとして生活しておられる方もたくさんいらっしゃると思うが)読書を始めてもすぐに眠くなって集中出来ない。今秋初演予定の新曲の譜読みをやらなくてはならないが、これも義務的にやってはいるが、気がのらない。

なんなの!このモチベーションの無さは!

最近テレビでもメディアでも、この非常事態が去った後、もう今までのような生活には戻れないだろうという見解を述べる識者が多い。

そしてニューノーマル( New Normal )と言う言葉が最近よく聞かれる。

ニューノーマルは一体どんなノーマリティなのだろう。

今の私は多分先のことは考えても想像でしかないし、不安が募る一方だからなるべく考えないようにしようとしているが、このモチベーションの無さは一時的にそんな不安や不安定感をシャットダウンさせる自己防衛の一種なのかもしれないと思い始めている。

でも今粘り強くブレないで自分を見つめたり奮い立たせることのできる人はニューノーマルの世界がオー プンした時にはきっといち早く何かを掴めるんだろう、と思う。

やっぱりそういうの目指したい、、、が、、、、

 

さ、これから四角いオンラインレッスンだ!

 

 

 

COVID-19こんな日が来るとは、、不自然な静寂 『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

本当に長い間、何も書かなかった。書けなかったと言った方が正しいかもしれない。今年1月中旬にロンドンの音楽、シアター、アートの中心となっているサウスバンクセンターが毎年シリーズで行っているインターナショナル・ピアノ・シリーズの一環でリサイタルを開いたのだが、その準備や急に増えたピアノのティーチングに時間が取られたこともあり、アッと言う間に時間が過ぎてしまった。そしてそのアッと言う前に今年の1月時点では全く夢にも思わなかった事態が今起こっている。

新型コロナウィルスCOVID-19拡大防止対策としてとうとう英国でもロックダウンと言う非常事態措置が取られたのだ。ロックダウンになって2週間目だが、ロックダウンになる前の市民のパニック状態は信じられなかった。どこのスー パーも棚が空っぽになる、と言う異常事態が生じた。私は2月の中旬頃から何やら不穏を感じて、備蓄を始めていたので、特に今買えないと困ると言うものもなく、パニック買いの被害はあまりなかったのは幸いだった。その頃はまだパブもレストランも開いていたのであまり真実味もなかったし、テレビでイタリアやスペインの深刻な状況が報じられていても、対岸の火事のごとくで、科学者の警鐘も特に真剣に聞いている人はあまりいなかったように思う。他のEU諸国とは違う措置を取ることで、BREXITEU離脱した英国は自分たちは右へ習いはしないことを強調するかの如く、学校閉鎖やロックダウンを拒んでいた感のあった英国だが、2週間くらいの間にあれよあれよと、状況が変化していった。いざロックダウンになってスー パーと薬屋以外のシャッターが閉じ、学校も公共施設は全てシャッターが降りると不思議な静寂が街を包んだ。1日一度許される運動のための外出、必要な品だけの買い物も1日一度だけだ。公園は開いているが普段子供たちで賑わうブランコなどの遊び場コーナーは閉ざされた。スー パーの前には長い列。2メートル間隔開けて待たなくてはいけないので、スカスカな長蛇の列となる。街中で人とすれ違うこともない。歩道ですれ違いそうになると皆大きなカーブを描いたように避けて通る。暗黙の了解・ルールが即出来た。

この国に住む人びとは各戸マスク2枚支給くらいでは言うことは聞かない。

給料の80パーセントは国が保証するからとにかく出勤しないで!金出すから家にこもれ!と言うことで、国民を従わせた。

もちろん給料の80パー セントをきちんともらえる国民がどれくらいるのかわからない。当初該当しなかった自営業や自由業の猛烈

 

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ロックダウン中の買い物

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子供の消えた公園



 

 





な反発に政府は慌ててこの分野の市民にも80パー セント支援すると言う約束をした。新たにこの2週間で95万人が生活保護支給の申請をしたそうだ。国が借入金でやりくりするのだろうが、今後経済の立ち直りの見込みはあるのだろうか?いつかは立ち直るのだろうが何年かかるのか?何十年かかるかもしれない。

日本に飛ぶ航空便も激減。すぐに日本には帰れないし帰ってもいつこちらに戻ってこれるかわからない。日本に老いた両親を残している日本人の知り合いたちは、まさかこんな日が来るなんて、と心配を募らせている。公園に子供のはしゃぐ声もなく、乗客一人か二人の空っぽのバスがいつものように走っているのがシュールな光景のロンドン。

不自然は静寂はいつまで続くのだろう、、、

 

宙ぶらりんな日常『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

クリスマスが怒涛のように押し寄せ、アッと言う間に終わってしまった。

私は傍観者のように、一歩下がってそのドラマが過ぎ去っていくのを見ていた気がする。

そして今、次の大晦日新年の波が来る、その狭間でナギのような時間を過ごしている。何だか宙ぶらりんで頼りない。

何をする気もこういうときには湧いてこない。

今日は久しぶりに晴れたし、ユー ミンを聴きながら散歩に出た。

THE DANCING SUNの中から“Good-bye friend” と  ”Hello, my friend”。

ある人のことを思い出しながら聴いていた。そしてどこまでも美しいこの空を伝って思いは届くものなのか?それが地球の裏側でも?もう会うことはなくても?

2019年もうそろそろお終いである。

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「宙ぶらりんな日常」Photo by Sanorui&NK

 

聞いて!介護現場ケアラーの声『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』にようこそ!

日本に私の知り合いで私より歳はうんと若いが人としての在り方にいつも心打たれる女性がいる。母親を癌で早く亡くし一人取り残された彼女。今は自身もシングルマザーとして高校生の娘さんを大切に育ている。彼女のように繊細かつ孤高とも言える人としての在り方は、とかく世の中の波にはうまく乗れないことも多い。システムとの戦いの連続で自分の心身が壊れるまで追い込まれてしまうことも多々ある。

彼女は山梨県介護施設で働いていたが、最近いろいろな事情があり退職した。彼女は介護という仕事と正直に向き合い、精一杯誠意を込めて仕事をしていた。

深い深い理由での退職とは言え、彼女のような人が介護現場に居ることは闇の中の一抹の光、希望のように思えたので、また介護現場に戻る気持ちはあるのかなぁ、と陰ながら気になっていた。先日いつものラインのやり取りから仕事の話になり、介護職復帰の可能性を聞いたところ

今まで聞いたことのなかった訴えるような言葉が返って来た。どこへぶつけることも出来ない怒りとやるせなさが一緒くたになって私の心はグラグラ揺れ痛かった。

 

以下彼女の承諾のもと、引用させてもらう。

 

それが日本の国のやり方なんですよ…

むしろ尊いはずの仕事が

ダメ…

さんざん逆らった

違うでしょ

利用者さんに、寄り添うってそうじゃないでしょ…

そう

私が口にし行動すればするほど

きまり、だから…

仕方ないから… と

 

最終的に苛められて終わり…

 

人のね

人が晩秋を迎えて

どう過ごすか

その人のニーズはどこにあるか?

 

そんなことは関係ない…

 

1日中

オムツのことばかり…

 

いうこと聞かなければ

首根っこ捕まえて歩かせる

 

実際の介護の世界は実はそんなもんです

 

福祉の仕事を10年近くやってきたから間違いない

 

それに刃向かえばハブられるだけ……

 

わたしはその繰り返しでしたね…

だから 現場には二度と戻らない…

 

利用者さん

最後の生き死にの段階でたくさん様々なニーズがあるでしょうが……

 

私たち福祉人はそのニーズにどれだけ近づいてあげるかにかかっていると私は職員として思ってましたが、それをすればするほど意地悪されたりハブられたりするのです…

 

日本の国がどれだけ介護という世界に理解があるでしょうか?

そういう次元の話になっているのです…

 

しかし政治家はどんどん幅を狭め果てや介護者はもちろん

家族でさえ首をくくらせているのです。

利用者はもちろんその介護をする家族をレスパイトできるようでなければいけない

 

 

マニュアルで介護しているだけだよ…

まぁ最低だね…

 

ニーズに答えるために、レスパイトするために奮闘するスタッフなんて

逆にみんな辞めていく…

自分がまわりに壊されちゃう

 

いくら気を強くもっていても組織だから、組織に逆らうのか?と

言われたらもうどうしようもない…

 

さんざん経験した…

さんざん泣いた…

それに尽きる……

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I Am the Song poem found in a London train

 

I Love Darcie!ヨガ再び『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

随分ご無沙汰してしまったブログ。ご無沙汰している間に夏は去り、あたりはすっかり秋だ。落ち葉が歩道に舞う季節になった。

ヨガの練習を再開した。かれこれ2ヶ月近くなる。

左膝のMRIを6月にした結果、半月板裂傷、変形関節症も片側が4度とあまりよろしくない結果が出た。流れとしては専門医の判断により今後の治療方針が決まる、はずなのだが、、、、

そうです。まだ専門医から予約の手紙が来ません。

整形外科は予約待ち時期が一番長いそうで、かと言え最大限待ち時間とされている18週間はとうに過ぎている。

かかりつけ医がくれた膝のエクササイズはとっても退屈だし、正しい方法でやっているのかもわからない。長年親しんできたヨガはどうだろうか、とネットで検索していくうちに試すに値するかもと思われるサイトが見つかったのでいくつか試してみた。自分にピッタリ合ったものでなければ長続きはしない。多数の動画ではニューエイジ音楽、あるいはミニマルなピアノ音楽がついている。音楽無しでも、先生がやたらと早口だったり、なんか先を急いでる感じのものや、落ち着いて呼吸のことにも言及しないものも多い。

そしてようやくお気に入りを2、3見つけた。一つはトロントで教えている先生のチェア・ヨガ。もう一つは年長者や足を痛めている人用の、足を強くするヨガで、これは指導する先生ご自身が膝に問題があるので考案したと言うもの。これはアメリカのサンディエゴの先生。(内容はとても良いのだが、なんせすっごいおしゃべりの先生。でもなんとなく憎めない)日本の先生のヨガ動画でなかなか良いものも2つ見つけたのだが、私はヨガをイスラエルで始め、ロンドンのイエンガー・ヨガ・インスティチュートで習ったせいか、なんとなくしっくりこない。

で、ようやくたどり着いた!今お気入りナンバーワンが先に述べたトロントで教えているダーシー・クラークさんのヨガ動画。

https://www.youtube.com/channel/UC_49UtaxHNFk3x3pe0JwLLA

この人のおかげで私は自分がどれだけヨガが好きだったのかを再認識させてもらった。

あれだけのめり込んでいたヨガからここ何年も遠のいてしまっていたので、これは本当にありがたく思っている。

私がやっているのはダーシーのチェアヨガ。椅子を使ってやるので膝にかかる負担がほとんど無いのだが、適度に大腿四頭筋、ハムストリングや太ももも使うから今の私にはもってこい。

彼女の呼吸の速度、動き、静かな話し方、適切な指示は素晴らしい。この人のヨガクラスを受けにトロントに行きたい!と思わせるくらい今ダーシーにはまっている。

毎朝欠かさずやって午前中出来ない時は、時間をずらして午後やったりする。

これは私にとってなかなか珍しい現象。

面白いのは彼女の経歴を読んで先生を辿っていくと私のついていた先生と同じ系列であることが判明。なんの抵抗を感じなかったのはそういうことだったのね、と納得するが、それにしても彼女のマインドフルな教え方はかなり素晴らしい。

ただある程度のヨガ知識がないと、彼女のやっていることは身体の内部でジワーーーッと起こることなので外目にはその深度が感じにくいかもしれない、、、

最近ほんの少しだけ効果出ているかも!と密かにほくそ笑んでいる。

Photo by Sanorui&NK

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自由であること『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

一番辛く苦しいと感じることは何か?

こんな質問を受けた。とっさに答えられなかった。ある意味哲学的な質問にも思えるし、、、、どんな時やことが一番辛く苦しいかなぁ、、、大切な人を失った時?海外で暮らす孤独だろうか?仕事がうまくいかない時?それとも健康? はたまた金欠病?

何が一番キツく苦しいかを考えると、頭に浮かんでくるのは現在の事より将来の不安も結構多い。まだわからない将来のことを思って心配するのはただの妄想に耽っているだけとも言えない。深刻な現実は私のみではないだろうが。

元の質問に戻ると、何が一番辛く苦しいであろうか?

私にとってその答えは多分『自由がない』と感じる時がそうかもしれない。

大切な人を失った時。もうその人には会えない。会えると言う自由を失った訳だ。

海外にいて故郷を思うとき、その瞬間に彼の地には行けない。健康を害した時は、身体的な自由を失う。金欠病も然り。

以前しばらく全然畑違いの仕事をしたことがある。雇った方も地獄だったと思うが、自分の本来の力を発揮出来ないことで、自分が無能に思えてしまう事は、水を失った魚のよう。かなりしんどかった。その職場では『無視される』と言うイジメにもあった。

ボランティアではない、仕事をして賃金を得る事が目的なのだから、その場からすぐに去ると言う自由はない。今思い出しても当時の辛さは鮮烈に思い出される。

大学時代に、その頃はごく少数だった日本人留学生達から『無視される』イジメにあった事があるが、大学という場所で一部の人たちからだけ『無視される』のは気持ちの良いものではないが、それほど耐えられないことでもなかった。それは他に行く自由があったから救われたのだ。

でも狭い環境で他に行く選択の自由がない場合は辛く苦しい。

もちろんこの自由という言葉は幅広いので、誤解も生じやすいと思う。

欲しいおもちゃを買ってもらえなくて地団駄踏んで泣きわめく子供のようなワガママも、自分の思い通りに事が進まない、自分の自由にいかない、と言えなくもないからだ。

でも私がここで言っていることは『ワガママ的自由』のお話ではない事を付け加えておこう。

そして世の中には政治的な理由や他の様々な理由から自由を剥奪される人たちがどれだけ居るか? 彼らの苦しみは私の個人的な『自由のなさ』を感じる苦しさなど足元にも及ばないことは想像に難くない。

Photo by Sanorui&NK

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重度自閉症で盲目の教え子を持つこと『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

ここしばらくやる気がない。頭の中はやたら忙しくグルグルと考え事で脳みそが凝ってガチガチな感じがするのに、実際何か行動しようとするとナ~~~ンにもやる気が出てこない。

何が原因なのだろう。

確かに来客が続いたり、忙しい日が続いていた。

何をするにも膝のことは気がかりだし、、、(この件は後日また書くことにする)

この「やる気のなさ」は実は現在、ある『気がかりなこと』が持ち上がっていて、何をしていても考えがそちらに行ってしまうことが原因なのではないか、とこの2、3日思うようになった。

6月上旬、重度自閉症で盲目の男性(35歳)がピアノ教授を探しているが、教えられないか?と言う打診があった。彼はいわゆるサヴァン症候群で1歳の時からピアノに興味を示し、上級の曲も難なくこなす。その記憶力は超人的なのだ。以前視力障害のあるピアニストの学生を指導したことはあるが重度自閉症を抱える人を教えた経験はない。

私は『心』『心の病』関連についてとても興味があり、その手の本も随分読んだが、自分の頭の中で知的に興味があるのと現実は違う。実際にその方面に素人の私が関われるのだろうか?

レッスンは彼のケアラー、ファシリテイター(彼と私の間に入って通訳的なことをしてくれる人)が立ち会うので、それほど心配は要らないと言われた。

まずは現在のレッスンの状況を視察させてもらった。(とても緊張したが有意義な経験だった)

全てを書くとものすご~~~く長くなるので、詳細は省略するが、私としてこのチャレンジを引き受けてみようと言う気持ちになった。周囲には反対の声も多々あるのだが、、、

教え子になるであろうNさんとは個人的なコミュニケーションは今の所取れないので、彼の父親と今後の方針を計画中だ。9月から始めるレッスンに向けて、色々な準備が必要になってくる。

私は『魂』のレベルで通じ合える事を祈っているのだが、どのような言葉かけをすれば良いのか?どのように新しいレパートリーを広げていくのか?(これは私が演奏したものを録音して徐々に積み重ねていくことになる)情報量が多すぎたり不穏だった時に起きるかもしれない『メルトダウン』もあるだろうし、私には未知のことだらけだ。でにとても勉強したいことの分野なので、とにかく現在この件が頭から離れなくなって取り憑かれてしまっている。

そんな訳で、ブログも疎かになっていた。

この歳で全く新しいチャレンジをしようとすると自分はこうなるのだ、と言うことがわかったのも意外な発見である。

Photo by Sanorui&NK

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