新たな挑戦『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

 

年齢と共に一日、1週間、1ヶ月、一年と時の流れを早く感じる。

年々、楽器の練習時間の捻出に頭を悩ませるようになってきた。若いときは本当に文字通り1日を練習に捧げることが出来た。練習することが勉強であり仕事だった。

1日の長さは同じなのに、この差はなんのか?

親元で、親がおさんどんから何からやってくれた時代に自分の時間がたっぷりあったのは当然だが、10代の終わりに渡英し一人暮らしを始めても、練習の時間はたっぷりあった。

1日に8時間も9時間も練習する仲間もたくさんいたが、私はそこまで長時間練習はもともとしない。人間の集中力には限度があると思うし、ある一定以上の時間続けて練習しているのは惰性であってあまり成果が上がらない、とも考える。

それでも平均5~6時間くらいはやっていたから今から思うと羨ましい限りだ。

誰もが経験していると思うが、年齢と共に、人生やる事が増える。私の場合は、例えば大学で教えていた時は、個人レッスンの他に講義の準備、学部のアドミン関連の仕事、学生のレポートや推薦状書き、受け持ち学生の論文のチェックなどなど1日はアッと言う間に去っていく。家のこともやることは山積みだ。その合間を縫って、自分の演奏のための練習の時間を捻出する。

基本、自分のやりたい事で忙しい訳だから苦痛は感じなかったし、本当に恵まれていたと感謝している。

ただ練習というのは単に時間を捻出して楽器に向かえば良い、と言うわけではない。

忙しない気持ちで練習してもいい事なんてない。しかしながら習慣というか小さい時から練習を義務付けられて来たものにとって、練習をしないとひどい罪悪感に苛まれるのだ。

とにかくちょこっとでも練習すれば、その罪悪感からは一応逃れられ、何となくホッとする。

 

最近は以前にも増してもっとゆっくりじっくりと腰を据えて練習出来たらなぁ、と心から思う。

練習時間を増やすというより、精神面、体力面をどのように鍛えるのか、新たな挑戦みたいなものの必要性を感じるのだ。

最近2年後、3年後の仕事のオファーがある時、微かな憂いが頭をよぎることがある。

自分の体力、例えば、視力のこと、関節痛や足腰の痛み、二の腕のたるみ(!)、

持久力のこと、今まで大して気にもしなかった事柄に関して、2年後3年後の自分がどうなっているのか、不安、心配になってくる。

演奏には色々な事が反映される。これで完全、100パーセント演奏なんてもちろんないのだが、少しでも今よりも良い演奏を目指して毎日訓練するわけで、余計な不安に邪魔されたくないが、

襲ってくる不安を無視せずどう折り合いをつけ善処するのか。

今までとは違ったトレーニングが必要だなぁと感じている今日この頃である。

 

ところで、最近「二の腕のたるみ」のための5分間ヨガの動画を見つけた。

ヨガログがYoutubeに提供しているシリーズの一つなのだが、この「二の腕のたるみ」担当の女性インストラクターがとても感じよく、大変気に入って毎日お世話になっている。

 

Photo by Sanorui&NK  『猫になりたい』

f:id:Sanorui:20181005224253j:plain