小さな願い『ロンドン・コーリング/Nomad Lifeを生きる』

何年か前、スコットランドの小さな村で開催されたフェスティバルに出演した時、コンサートの後、知らない女性が楽屋に訪ねて来た。

「私は3年前に5歳の息子を事故で亡くしました。目の前で事故にあって死んだのです。私は我が子を助けてやることが出来なかった。それ以来私は音楽を聴くことが出来なくなりました。今日はあの事故以来、初めてのコンサートなのです。何か、ふとそういう気になったもんで。コンサートが始まると、一つ一つの音が身にしみて、悲しみや痛みが戻って来てつらいと感じた瞬間もありましたが、何かが流されて行くのを、たくさんの感情の流れをヒシヒシと感じました。今は今日このコンサートに来て本当に良かったと思います。そのことをどうしてもお伝えしたくてこうして楽屋にお邪魔しました。」と。

音楽の、それも生の音は時として信じられないパワーを持つ。

日常の忙しなさに流されると、芸術に触れようと言うエネルギーがだんだんと消え失せる。芸術は嗜好品に例えられることもしばしばあるが、お腹をペコペコにすかせている我が子に十分な食事を与えることすら困難な貧困の中にいたら、芸術も音楽もへったくれもないであろう。音楽で空腹は満たせない。

そう考えるとやるせない気持ちになって仕方がない。

昨日、友人が彼女の子供4人(9歳の女の双子、三女8歳、長男2歳)そしてもう一人9歳の女の子テイラーちゃんを連れて我が家に遊びに来た。

友人は小学校の福祉指導主任をしているのだが、昨日は訳あって一日テイラーちゃんを預かることになったらしい。テイラーちゃんは、里親を転々として、今一緒にいる里親とはとてもうまくいっているが、事情があって別の里親のところに移るそうだ。

うちに遊びに来る子供達はだいたいピアノに直行する。

ただひっぱたいているだけなのだが、私の譜面を譜面台に載せている弾いている「フリ」をしているのが超おかしい。

テイラーちゃんはピアノにとても興味を持った様子で、最初は恐々としていたのだが、飽きずに長いことポロンポロン一本指で優しく音を出して遊んでいた。

彼女は何を感じたのだろうか?

とても知りたかったけど、なんかそっとしておいたほうが良い気がして何も尋ねなかった。彼女は新しい里親のところに移ることはまだ知らされていないそうで、遠くに行くことになるらしい。もうきっと会うことはないと思うけど、ピアノを触ったこと、ピアノの生の音に触れたこと、ずっと覚えていてくれたらいいな、と願わずにはいられなかった。

Photo by Sanorui&NK

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